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北浦和の整体。アンチドーピング活動。

2020/11/16
北浦和の整体。アンチドーピング活動。

1960年のローマオリンピック競技大会において、ドーピングによるアスリートの死亡事故が発生しました。その事故が ”ドーピング” という課題に取り組む動きが起こるきっかけとなりました。

 

1968年グルノーブル冬季オリンピック、メキシコ夏季オリンピックから国際オリンピック委員会(IOC)主導でドーピング検査を開始しましたが、当時は競技種目や国・地域を越えて統一された国際ルールは存在していませんでした。

 

1998年にツール・ド・フランスにおいて、ドーピング違反者が大量に摘発されたことをきっかけに、翌1999年に、IOCの主催で行われた ”スポーツにおけるドーピングに関する世界会議” において採択された ”ローザンヌ宣言” に基づき、1999年11月にWADA(世界アンチドーピング機構)が設立されました。

 

それまでIOCが主幹として取り締まっていたドーピング検査はWADAが行うようになり、2003年3月にはIOC医事規定からWADA規定(WADA Code)が正式ルールとして採用されるようになっています。WADAに反発していた国際サッカー連盟(FIFA)も、2006年6月に、条件付ながらWADAの統一基準受け入れに合意しました。

 

日本においてはJADA(日本アンチドーピング機構)が2001年に設立されました。その頃にその他の国にもJADAのようなアンチドーピング機関が設立されていきますが、当初は ”取り締まり” のような表現を使うところもありました。

 

ワンフレーズでなくても、自分たちの活動を表現する中で、「違反をする選手には厳罰が処せられます」「私たちはドーピングをしている人を摘発する」といったようなメッセージがかつてはありました。

 

その後10年ぐらいして、トレンドは変わってきました。大前提としてアスリートが公正な環境の下でプレーをするという当然の権利を擁護することが、アンチドーピング活動の根本であるというメッセージが今の主流となっています。

 

多くのドーピングは試合後の検査結果でしか判明しません。ドーピングの規則違反というのは、基本的には、アスリートが公正な環境で試合をする権利が侵害されている事象が生じているということになります。

 

また、表彰式の段階ではドーピング検査の結果は判明していません。表彰されるような華々しい場面においても、もしドーピング検査で失格となるようなアスリートがいれば、本来受けるはずだった人は、その場で多くの人に祝福されながら表彰を受けるという機会が奪われていることになります。

 

違反が判明したとして数カ月後に事情整理の中で順位の繰り上げが起こるかもしれません。しかし、後日に金メダリストとなっても、書類上で繰り上げが起こるだけで、表彰式でのメダルとは違っているし、国旗が掲揚されて国歌が流れるという栄誉に服することはできません。

 

このような権利の侵害に対して、終わった後で補正がかかるからよいというのではなく、アスリート自らがその活動に参画しなければ、自分たちのフィールドが守れないという共通の認識が必要になってきています。

 

自分たちも参加しなければ、自分たちの権利が正当に評価されるフィールドがなくなるとか、権利が侵害されるリスクが高まるというように認識が変わってきています。取り締まる側と取り締まられる側のように分かれるのではなく、アンチドーピング機関と同じベクトルで、アスリートがドーピングという課題に対して取り組むというトレンドに変わってきているのです。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、ドーピングに関する正しい知識で、適切な施術、トレーニングアドバイスを行なっていきます。