BLOGブログ
BLOG

北浦和の整体。第3回夏季オリンピック、セントルイス大会。

2020/07/01
北浦和の整体。第3回夏季オリンピック、セントルイス大会。

1904年(明治37)の今日、アメリカ合衆国のミズーリ州セントルイスでオリンピックが開催されました。(11月23日まで)オリンピック史上初めて、北米大陸で開催されました。また、パリオリンピック同様、万国博覧会を兼ねていました。

 

北米大陸の内陸部にあるセントルイスまでの交通難、さらに同年の日露戦争勃発による国際関係の緊迫化などを理由に、ヨーロッパ勢は大幅に参加国が減少しました。一方、アメリカ合衆国からの参加者は523人と他国を圧倒し、隣国のカナダも北米大陸以外の選手総数と並ぶ52人が競技に参加しました。

 

その結果、91種目中42種目ではアメリカ以外の参加者が不在で行われ、金メダル数でも全96個中アメリカが78個を獲得して、近代オリンピックでは空前絶後の独占率となりました。

 

前回のパリ大会から多くの競技種目見直しが行なわれ、クリケット、クロッケー、セーリング、バスクペロタ(ハイアライ)、馬術、ポロ、ラグビーなど欧州で盛んな競技が外された一方、アーチェリー、綱引、ボクシング、ラクロス、ロック(クロッケーの北米版)が導入されました。ロックを除く新規採用競技は1908年のロンドンオリンピックでも採用され、特にアーチェリーやボクシングは公開競技としてセントルイス大会で採用されたバスケットボールと共にその後も各大会で実施されるようになりました。

 

また、ウェイトリフティングは1896年のアテネオリンピック以来の実施で、その次は1920年のアントワープオリンピックで行われることになりました。一方、パリ大会に続いて行われたゴルフは前回優勝者のみしか参加者がいなかったためセントルイス大会を最後に姿を消し、その復活は112年後の2016年、リオデジャネイロオリンピックを待つこととなります。

 

マラソンではオリンピック史に残る不名誉な事態が発生しました。アメリカのフレッド・ローツが高温と疲労のため20キロ過ぎで道に倒れ、たまたま通りかかった自動車に乗せてもらい競技場に戻ることになりました。ところが競技場に向かう途中で車がエンストで止まってしまい、そこから再び走り出してゴールするという不正をはたらきました。

 

1着でゴールしましたが、ゴール直後に車の運転者の告発により即座に不正が発覚し優勝は取り消され、その後ローツはマラソン界からの永久追放を命じられることになりました。これがマラソン史上に言われる ”キセルマラソン” 事件です。ただし、ローツはほどなく復帰が認められ、翌1905年のボストンマラソンで優勝しています。

 

代わって優勝したヒックスのタイム、3時間28分53秒は五輪史上最も遅い記録でした。なお、このときヒックスは興奮剤入りのブランデーを飲んで走っており、現在のルールではドーピング違反となりますが、当時はドーピングに対する明確な禁止規定は無かったため、ヒックスの優勝は現在も公式に認められています。

 

セントルイスオリンピックでは、今では考えられないようなことばかり起こっていたんですね。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、現代のアスリートのニーズに合った施術を行なっていきます。