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北浦和の整体。野茂英雄。

2020/06/15
北浦和の整体。野茂英雄。

2005年(平成17年)の今日、野茂英雄が日米通算200勝を達成しました。

 

野茂英雄は、”トルネード投法” から繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球とアメリカメジャーリーグで活躍した投手です。日本ではパリーグ初の沢村栄治賞を受賞。メジャーリーグではアジア人初のノーヒットノーランの達成やアジア人初の最多奪三振のタイトルを獲得し、アジア人初の新人王も受賞しています。

 

アマチュアNo.1投手から1989年のドラフトで史上最多の8球団から1位指名を受け、近鉄バファローズに入団。1995年2月にロサンゼルス・ドジャーズとマイナー契約を結び、1998年6月にニューヨーク・メッツに移籍、1999年4月にミルウォーキー・ブルワーズと1年契約、2000年1月にデトロイト・タイガースと1年契約、12月にボストン・レッドソックスと1年契約を結びました。

 

2001年12月に2年契約で古巣ドジャーズに復帰。2003年4月20日のジャイアンツ戦でメジャー通算100勝を達成します。9月に右肩回旋筋の炎症が見つかりますが、故障者リスト入りはせずに療養し、14日に復帰。最終的に防御率はリーグ6位の3.09、得点援護率がリーグワースト3位ながらもリーグ5位の16勝を挙げました。シーズンオフに内視鏡手術を受けます。

 

2005年は当時、創設8年目のタンパベイ・デビルレイズとマイナー契約。6月15日のブルワーズ戦でNPB/MLB通算200勝を達成しましたが、7月26日に解雇。27日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結びました。200勝を達成したことで、日本プロ野球名球会入りの権利を得ましたが、この時は 「今は返事をする必要がないと思う」 として態度を保留しました。

 

2006年3月にホワイトソックスとマイナー契約。4月に右肘の炎症を起こして6月に解雇。6月下旬には右肘の手術をします。2008年1月にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約。手術した右肘への負担を軽減するため、トルネード投法の大きな特徴だったワインドアップ・モーションをやめ、セットポジションに投法を統一します。オープン戦で、16イニングを投げ16奪三振、四死球は4つにとどめるなど比較的安定して三振が取れていると評価され、4月5日にメジャー昇格後、10日に2005年7月15日以来1000日ぶりにメジャー登板。その後は結果を残せず戦力外通告を受けます。

 

2008年11月に帰国後、2009年2月にオリックスのテクニカル・アドバイザーに就任しますが、オフに契約解除。3月10日、入会を保留していた日本プロ野球名球会へ正式に入会しました。2010年からは野球解説者としても活動を始めます。2014年1月に日本の野球殿堂入りが決まりました

 

ニックネームは ”ドクターK”、”The Tornado”。大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独特の投法は ”トルネード投法” と呼ばれ、真上から振り下ろすオーバースローから平均球速138~145km/h、最速153km/hの伸びのあるフォーシームと124~132km/hのフォークボールを武器としました。

 

速球は基本的にフォーシームでしたが、左打者には時折カット・ファストボールを交えました。2000年代に入るとカーブ、スライダー、ツーシームなども交えるようになり、引退前の2008年にはケガのため、ワインドアップを封印し技巧派となりました。

 

三振奪取率が極めて高く、プロ入りから9年連続で奪三振が投球回数を上回っています。NPB/MLB通算奪三振率は9.28。野茂はストライクゾーンの判定を気にせず、自分の納得のいく投球を求める投手でした。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、豪速球投手の方にも効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。