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北浦和の整体。ブラッドバンク。

2020/02/26
北浦和の整体。ブラッドバンク。

1951年(昭和26)の今日、日本初の血液銀行・株式会社日本ブラッドバンク(後のミドリ十字、吉富製薬と合併するなどして現在は田辺三菱製薬)が大阪で開業しました。

 

開業の3年前、1948年(昭和23)、東大付属病院小石川分院で、輸血を受けた女性が梅毒に感染するという東大病院輸血梅毒事件が発生しました。

 

このとき行なわれた輸血は、枕元輸血と言って、輸血の必要な患者がいる場合に近親者や知人、もしくは供血斡旋業者が派遣した供血者がその場で血液を提供するもので、昭和20年代まで頻繁に行なわれていた方法でした。しかし、明らかに提供血液の感染症チェックを行なうことができないため、このとき輸血を受けた女性も梅毒に感染したのでした。

 

この事件を受けて、連合国軍最高司令部(GHQ)から厚生省(現・厚生労働省)と東京都に対して、血液銀行を設立し、梅毒感染の恐れのない保存血液を供給するなどの輸血対策を速やかに確立するよう指示が出されたのです。

 

血液銀行は、献血などにより提供者から採取した血液を保存管理して輸血に必要な血液を確保し、必要に応じて供給する機関で、GHQの指示により設置されました。翌1952年(昭和27)に、日本赤十字社も血液銀行を設立しました。

 

1960年(昭和35)8月、東京都で ”第8回国際輸血学会” が開催され、この学会で 「保存血の多量使用は肝炎の多発要因になる」 という指摘があり、無理な売血による提供者の貧血問題、日本の保存血の大半が売血によって行われていることを、スイス・オランダの学者から取り上げられ、血液銀行の在り方が強く批判されました。

 

この批判によりマスコミの注目を浴びて、金銭を得るために過度の売血を繰り返していた人たちの血液 ”黄色い血” への関心が高まりました。1964年(昭和39)8月、閣議決定によって、厚生省は ”保存血” は日赤と地方自治体のみが取り扱う旨を全医療機関へ通知しました。

 

日本ブラッドバンクは、業績の42%を血液銀行部門に頼っていましたが、行政指導によって血液銀行部門を廃止して、医薬品部門の拡大に特化した ”株式会社ミドリ十字” に商号を変更しました。新社名は、創業以来の社章である ”緑十字形” に因んでつけられたものでした。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、クライアントの健康を維持するための社会制度について考えながら、日々の施術、ボディケアを行なっていきます。