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北浦和の整体。サッカーのまち、さいたま。

2019/12/02
北浦和の整体。サッカーのまち、さいたま。

2006年(平成18)の今日、サッカーJ1最終戦が行われ、浦和レッズが地元・埼玉スタジアムでのガンバ大阪との試合にて3-2で勝利し、年間リーグ初優勝(創立初)を決めました。

 

この試合はいったんガンバに先制点を許しましたが、前半27分にポンテ、44分にワシントンの両外人選手のゴールで逆転。後半も三都主から田中闘莉王と渡ったボールをワシントンがヘディングでこの日2点目の得点を挙げてリードを広げます。終盤ガンバに1点差に追い上げられますがそのまま逃げ切って勝利しました。

 

レッズは2004年(当時2シーズン制)の第2ステージで優勝したことがありますが、年間優勝は初めて。この優勝決定戦はホームで行われたこともあって、Jリーグ新記録となる62,241人の観衆を集めて行われ、このシーズンのレッズホームゲームの全体の入場者も77万人を越えたと言われています。

 

浦和レッズは、三菱自動車工業サッカー部(1950年創部)を前身とするサッカークラブで、1991年にJリーグ加盟した10チーム(オリジナル10)の一つでした。ホームタウンは埼玉県さいたま市(旧浦和市)。ホームスタジアムは埼玉スタジアム2002、練習グラウンドはさいたま市大原サッカー場です。

 

チーム名(正式名称:浦和レッドダイヤモンズ)は 『ダイヤモンド』 の最高の輝き、固い結束力に由来し、クラブカラーである 『レッド』 と組み合せたもの。ダイヤモンドについては、三菱グループおよびそれらを前身とするスポーツチームには、三菱の社章である菱形=ダイヤモンドを冠したものが多く見られます。

 

国内三大タイトル(J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯全日本サッカー選手権大会)をすべて獲得しているクラブの一つで、Jリーグクラブで初めてAFCチャンピオンズリーグ(アジアサッカー連盟主催)で複数回優勝を成し遂げたクラブです。また、観客動員と営業収入においては、長年Jリーグ加盟クラブ中最高の成績を維持し続けています。

 

浦和になぜレッズが誕生したのか。1908年(明治41年)埼玉師範学校(現在の埼玉大学)に蹴球部が創設され、1世紀が経とうとしていました。浦和は日本屈指のサッカーが盛んなまちとして知られている ”サッカーのまち 浦和” と呼ばれていました。

 

浦和市は当初、日本サッカーリーグ(JSL)1部所属の本田技研サッカー部を誘致し、本田技研狭山サッカー部と統合した新たなサッカークラブ作りを構想していました。しかし本田技研本社がJリーグ不参加を表明、埼玉県にはJSLに所属し大きな資金協力の見込める大企業のサッカー部が他になかったため、当時のプロリーグ検討委員会委員長・川淵三郎に相談したところ、三菱自工の森孝慈を紹介されます。

 

森は当時、三菱自工内でサッカー部のプロ化に奔走していました。三菱自工はサッカー部の活動の中心であり、本社と三菱養和SCが所在する東京都を本拠地とする予定でしたが、Jリーグが国立霞ヶ丘陸上競技場をホームスタジアムとして認定しない方針を打ち出していたことや、江戸川区陸上競技場の客席増設や競技場近辺の練習場確保が困難であったことからJリーグ加盟の要件を満たせず、代替候補地の設定を急いでいました。

 

こうした浦和と三菱自工両者の経緯から生まれた縁談は、堅実なチームを作っていこうという両者ビジョンの一致を軸に折り合いよく進み、時間をかけずに浦和レッズ誕生へと実を結びました。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、サッカーに打ち込んでいる方にも、適切な施術、ボディケアを行なっていきます。