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北浦和の整体。六大学野球。

2019/09/20
北浦和の整体。六大学野球。

1925年(大正14)の今日、東京六大学野球連盟が発足。開幕試合は明治ー立教1回戦でした。現存している大学野球でリーグでは最も長い歴史があります。

 

六大学野球は、1903年に開始された早稲田大学と慶應義塾大学の対抗戦 ”早慶戦” を発祥とします。1906年、応援の過熱などから早慶戦は中断されましたが、明治大学(1914年)、法政大学(1917年)、立教大学(1921年)、東京帝国大学(現在の東京大学、1925年春)が参加。同年秋リーグから他校の説得により早慶戦が再開され、ここに東京六大学野球連名として正式に発足しました。

 

翌年の1926年10月には神宮球場が東京六大学野球連盟の協力の下で完成、実質的には連盟専用球場として運用されることになります。

 

六大学野球は、プロ野球人気が高まりを見せるまで長く日本の野球人気の中心的存在であり、土日に神宮球場で開催されることもあって大学野球連盟の中では平均入場者数が最も多かったのです。プロ・アマチュア球界へも人材を送り出してきました。また、アマチュアリーグでありながら、硬式野球を代表して天皇杯が下賜されています。

 

結成された当時は娯楽文化が現在とはだいぶ異なる様相を呈していて、この野球対抗戦はスポーツ競技娯楽として絶大な人気を集めていました。このため、六大学野球連盟成立前の加盟候補に挙がったチームや、成立後に至ってもこの連盟に加盟を希望するチームは枚挙に暇がありませんでした。

 

六大学野球は早慶戦を起源とすることから、最終戦の対戦カードは必ず早慶戦となっています。早慶戦は日本の野球の発展に大きな影響を及ぼし、長く国民的な注目を集め、現在も両校の学生や卒業生が応援しており、他のカードより多い観客数となっています。早慶戦が必ず最終節に組まれているため、早慶両校は全5カードを戦うのに最大8週間かけることができ、かつ3週連続で試合を行なうことは絶対ないのに対し、他校で第1週(第1・2カード)に出場しない学校は6週間で5カードをこなさなければならないので、選手の疲労度を考えると、日程面では早慶両校が他校よりも有利と言えます。

 

成立以来全国から有力な球児たちが集まり、テレビ普及によるプロ野球の人気上昇前に、日本の野球において高校野球と人気を二分してきました。1980年代以降は以前ほどの人気を集めなくなりましたが、東京六大学野球連盟の発表する観客動員数によると早慶戦を含まなくとも大学野球では全国随一の動員力を維持しています。

 

六大学野球の試合開始・終了時には両校応援席とも校旗を掲揚して校歌斉唱と 「フレー・フレー」 の掛け声(母校と対戦校のそれぞれに対して)からなるエール交換(応援席以外の観客は静粛します)を行ない、相手への敬意を表します。エール交換中、応援席に座る学生たちには相手校への敬意から起立・脱帽が義務づけられています。

 

コンバットマーチ(早稲田)ダッシュケイオウ(慶應)狙い撃ち(明治)チャンス法政(法政)セントポール(立教)鉄腕アトム(東大)など、現在高校野球やプロ野球で使われる応援曲の多くが東京六大学から生まれており、東京六大学の応援が高校野球やプロ野球へ、そして全国へ伝播したものなのです。また、野球応援にチアリーダーが登場したのも、やはり東京六大学が最初とされています。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、野球に真剣に取り組む学生の方にも効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。