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北浦和の整体。20世紀最高の投手。

2019/09/17
北浦和の整体。20世紀最高の投手。

1968年(昭和43)の今日、阪神タイガースの江夏豊が甲子園球場での対巨人戦で王貞治から日本記録となる354個目の奪三振を記録。10月に世界記録を達成し、このシーズンで401奪三振を記録しました。

 

江夏は、日本記録のシーズン401奪三振、最優秀救援投手5回などを記録し、オールスター9連続奪三振や『江夏の21球』を演出し、1960年代後半から1980年代前半にかけて日本プロ野球界で活躍しました。

 

子供の頃、江夏は近所の子供たちと粗末な道具で野球を楽しんでいました。そんな折に兄から 「おまえは左でやれ」 と左利き用のグラブを買い与えられ、右利きであったにも関わらず強制的に左利きへと矯正されました。

 

本格的に野球を始めるのは大阪学院大学高等学校に入学してからでした。高校時代は制球に難があり、またそれを理由に変化球を一切教えられてきませんでしたが、球威のある直球と様々な駆け引きで活躍します。

 

3年時(1966年)の夏の甲子園府予選では準決勝に進出しますが、後に阪神の同僚となる桜塚高の奥田敏輝投手と投げ合い0-1で惜敗。しかし予選7試合を1人で投げ、わずか3失点という成績を残しました。これがプロのスカウトの目に留まり、「直球もよいが、なかなか頭の使える選手だ」として1位指名に踏み切らせるきっかけとなりました。

 

江夏は高校時代を振り返って、衝撃的だった出来事として鈴木啓示との対戦を挙げています。大阪学院大学高校は江夏が2年生の時、鈴木を擁する育英高等学校と練習試合をして延長15回0-0の引き分けに終わっています。

 

この試合で、江夏が15イニングを投げ抜き15奪三振を挙げる好投を見せますが、育英の3年生エースだった鈴木はそれを大きく上回る27奪三振をマーク。4番打者として打席に立った江夏は、速度のある直球と落差の鋭いカーブに手も足も出ず、「1球もかすらなかった」 と述べています。この時
以来、カーブを習得したいという願望が芽生えたと言います。

 

1966年、第1次ドラフト会議において、阪神、巨人、東映、阪急の4球団から1位指名を受けての競合抽選の結果、指名権を獲得した阪神へ入団します。

 

入団1年目1967年の春季キャンプでは、高校時代まで投げられなかった変化球を習得するため権藤正利ら先輩投手に教えを請いますが、どの投げ方も習得できないまま公式戦に突入。それでも豪速球を武器に225奪三振を挙げてシーズン最多奪三振を記録しましたが、その一方で与四球や被本塁打も多く、打撃力に乏しい当時のチーム事情も重なって12勝13敗と負け数が上回り、新人王のタイトルも、武上四郎に阻まれ獲得できませんでした。ただ、球団とは1勝10万円のインセンティブ契約を結んでいたため、年棒相当の収入を得たと言います。

 

1968年のキャンプでは、新たに投手コーチとなった林義一によって、中学時代にやっていた砲丸投げの影響だったいわゆる ”担ぎ投げ” の癖を矯正され、変化球も教え込まれました。これによりコントロールと球種の幅を身につけ、この年は開幕から前年を上回るペースで奪三振と勝利を挙げました。この年を境に江夏は、血行障害に悩む村山実に代わる阪神のエースとなり、球界を代表する投手へと成長していきました。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、豪速球投手の方にも効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。