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北浦和の整体。原爆の日。

2019/08/06
北浦和の整体。原爆の日。

1945年(昭和20)の今日、午前8時15分に、米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」により、原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下されました。人類史上初の都市に対する核攻撃でした。一瞬のうちに14万人の命が奪われ、市街は壊滅しました。今も多くの被爆者が放射線の影響によるがんなどの病気や健康への不安に苦しんでいます。

 

この歴史的悲劇から目をそむけないために、犠牲者の霊を慰め、世界平和を祈るために、毎年8月6日に広島市では原爆慰霊祭が行われます。

 

8月6日は月曜日。当時は週末の休みはなくて、朝は8時が勤務開始時間でした。大半の労働者・徴用工・女子挺身隊、勤労動員された中学上級生(1万数千人)たちは、三菱重工や東洋工業をはじめとする数十の軍需工場での作業中でした。

 

また建物疎開には、中学下級生(数千人)および一般市民の勤労奉仕隊(母親たち)や病気な
どの理由により徴兵されなかった男子らが参加しました。動員は市内のほか、近隣の農村からも行なわれました。建物疎開とは、空襲による類焼を食い止めるために建物の間引きを行なう作業。建物の破壊は軍が行ない、瓦礫の片づけを奉仕隊が行ないました。当然、青空の下での作業。彼らは原爆の熱線を直接、大量に浴びることになりました。

 

尋常小学校の上級生児童は1945年4月に行なわれた集団疎開で市を離れていた者が多かったのですが、下級生児童は市内に留まっていました。児童は各地区の寺子屋学校での修学となっていました。就学以前の幼児は自宅に留まっていました。

 

8月3日、4日と雨が降りましたが、5日以降は高気圧に覆われて天候は回復しました。8月5日は深夜に2回空襲警報が発令され、その度に市民は防空壕に避難したため、寝不足の市民も多かったようです。この日、市街中心部では米の配給が行なわれ、市民は久しぶりの米飯の食卓を囲みました。

 

8月6日の朝の気温は26.7℃、湿度80%、気圧1,018hPaでした。北北東の風約1m/秒が吹き、うす曇りで視界は良好でした。7時9分の空襲警報で市民はいったんは防空壕に隠れましたが、7時31分には警報解除となり、外へ出て一日の活動を開始していました。

 

原爆投下から74年経った広島の今日の天気は台風8号の影響で断続的に雨になるようです。私たちは、大勢の犠牲者の御霊に祈りをささげるとともに、74年前に起きたこの悲惨なできごとを忘れることなく、後世に語り継いでいく義務があると思います。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、世界平和を願いながら、今日も疲れた方々に効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。