BLOGブログ
BLOG

北浦和の整体。金銀の日。

2019/08/02
北浦和の整体。金銀の日。

今日は金銀の日です。1928年(昭和3)の今日、アムステルダムオリンピックで三段跳の織田幹雄が日本人初の金メダル、陸上800mで人見絹枝が日本人女性初のメダルとなる銀メダルを獲得したことでそう呼ばれるようになりました。

 

第9回夏季オリンピック・アムステルダム大会は、1928年5月17日から8月12日まで、オランダのアムステルダムで行われました。

 

アムステルダムオリンピックは、長い間クーベルタンらの反対で見送られてきた女性の陸上競技への参加が初めて認められ、女性への門戸開放という点で大きく進歩した大会でした。日本からは人見絹枝が出場し、800mで銀メダルを獲得しました。この女子800mではレース後に多くの参加選手が倒れ、その過酷さを理由に、200mより長い女子陸上競技は1960年代まで行なわれませんでした。

 

日本は織田幹雄(陸上男子三段跳)と鶴田義行(競泳男子200m平泳ぎ)が悲願の金メダ
ルを獲りました。織田の優勝は大会関係者も想定していなくて、他国の旗より4倍の巨大日章旗が表彰式の国旗掲揚で使用され、君が代の吹奏も準備ができておらず 「千代に八千代に」 と途中から行なわれました。

 

また、この大会時にはまだ表彰台はなくて、国旗の掲揚による表彰のみで、表彰台が用意されるのは次のロサンゼルス大会からでした。織田のこの時の三段跳の記録、15m21cmは1964年東京オリンピックを開催した国立霞ヶ丘競技場に立てられた ”織田ポール” の高さとして採用され、競技場の解体まで存在していました。

 

この大会で初めて聖火が使用され、大会中に継続して燃やされました。また、コカ・コーラが史上初のオリンピック・スポンサーになり、コカ・コーラが参加関係者に支給されました。この大会以前は開催期間1カ月以上の長期間でしたが、この大会以降は現行の開催期間になりました。

 

テニスは既にトップ選手のプロ化が始まっていたため、アマチュアリズムを固持するIOCはテニスを実施競技から除外しました。テニスのオリンピック復帰はアマチュア規定が除外された1988年ソウルオリンピックとなります。

 

開会式ではギリシャが先頭、開催国(オランダ)が最後に入場する形式が採用され、現在まで継続しています。ドイツは第一次世界大戦の責任を問われて過去2回のオリンピック参加を拒否されており、この大会で1912年ストックホルムオリンピック以来の復帰を果たします。

 

アメリカ合衆国のジョニー・ワイズミュラーは水泳の100m自由形と4x200m自由形リレーの2種目で金メダルを獲得。前回のパリ大会と合わせて5個の金メダルを獲得したワイズミュラーは翌年にモデル・映画俳優に転向し、後に映画「ターザン」シリーズで人気を得ることとなります。

 

陸上競技とともに体操でも女子選手の参加が認められました。この体操競技では女子は団体総合のみが行なわれてオランダが優勝しましたが、13選手中ユダヤ人だった3人は第二次大戦中のホロコーストにより、1943年にソビボル強制収容所で相次いで死亡しました。

 

日本では、アムステルダム大会から国の予算で選手渡航費が計上されるようになります。それまでは選手は自費で渡航していました。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、疲労回復を考慮した、アスリートのニーズに合った施術を行なっていきます。