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北浦和の整体。第1回FIFAワールドカップ。

2019/07/13
北浦和の整体。第1回FIFAワールドカップ。

1930年(昭和5)の今日、 第1回FIFAワールドカップがウルグアイで開幕されました。大会は7月30日まで行われ、出場国は13カ国で、以後の大会と異なり、出場権をかけての地区予選は行われず、すべてのチームは招待されて参加しました。

 

ウルグアイは、開催国として、近代的なスタジアムの建設(建国100周年の記念として建設)と参加国の全招致などを約束し、1924年、1928年と2度にわたるオリンピックチャンピオンとなり、実力ともに十分な条件をもって開催国に選出されました。

 

しかし、当時は船での長旅のため、ほとんどのヨーロッパのチームが出場を辞退し、開催2カ月前の時点でユーラシア大陸からの参加チームは0でした。そこで当時のFIFAの会長、ジュール・リメがUEFA(欧州サッカー連盟)に参加を呼びかけて、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国(すべて当時のフランスの同盟国)が参加に踏み切りました。

 

また日本も招待されていましたが、当時の日本国内が1927年の昭和金融恐慌以来慢性的な不況に喘いでおり、重ねて起こった同じ年の昭和恐慌発生でさらに経済状態が悪化し、大日本蹴球協会自身も財政難に苦しんでいたため、参加を見送りました。

 

結局、参加チームは、南米サッカー連盟(CONMEBOL)からウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ペルー、ボリビアの7カ国、欧州サッカー連盟(UFEA)から前述の4カ国、北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)からメキシコ、アメリカの2カ国となりました。

 

13チームは4つのグループに分けられ、各グループ総当たりで1位になった、アルゼンチン、ユーゴスラビア、ウルグアイ、アメリカが決勝トーナメントに進みました。準決勝は、両試合とも6対1で決着がついて、アルゼンチン(対アメリカ)とウルグアイ(対ユーゴスラビア)が勝ち進みました。準決勝で敗れた国同士による3位決定戦は行われませんでした。

 

決勝戦は7月30日にモンテビデオのエスタディオ・センテナリオで行なわれました。ウルグアイは4対2でアルゼンチンを降し、ジュール・リメFIFA会長から優勝杯を受け取りました。後にリメ会長の功績を讃えて優勝杯は、ジュール・リメ杯と呼ばれるようになります。

 

また、全18試合、引き分けがひとつもなかったこと特徴的です。これは2018年ロシア大会に至るまで唯一の記録であり、FIFA主催の国際大会における引き分けなし試合の記録において、AFCアジアカップ2015(26試合)で破られるまで85年もの間世界記録となっていました。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、サッカーに打ち込んでいる方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。