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北浦和の整体。第5回夏季オリンピック、ストックホルム大会。

2019/07/06
北浦和の整体。第5回夏季オリンピック、ストックホルム大会。

1912年(明治45)の今日、スウェーデンのストックホルムで第5回夏季オリンピックの開会式が行なわれました。この大会で日本がアジアの国で初めてオリンピックに参加しました。出場選手は2名。陸上競技・短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三でした。

 

開会式の各国入場行進では、日本は三島が日の丸の旗を、金栗が ”NIPPON” のプラカードを持ち、二人だけの行進となりました。三島は400mの準決勝で棄権、金栗も10000mを棄権してマラソンに出場しますが、世界一遅いマラソン記録を残しています。

 

7月14日に実施された男子マラソン競技に参加したポルトガル代表のフランシスコ・ラザロが競技中に脱水症状により意識を失い、その翌日に死去しました。男子マラソン競技は参加68人中33人が途中棄権するほど過酷な環境下でのレースとなりました。近代オリンピック以降、オリンピック競技で初めて死者が出た事例でした。

 

また、このとき日本人選手の金栗四三が途中行方不明になるという騒動も起きています。金栗もレース途中脱水症状に襲われ、意識がなくなり、気がついたときには宿舎に戻っていたようです。

 

1967年3月21日、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典が開催されましたが、開催に先だって当時の記録を調べていたスウェーデンのオリンピック委員会が、陸上競技の男子マラソンにおいて日本の金栗四三が(棄権の意思が運営者側に届いていなかったため)「競技中に失踪して行方不明」となっていることに気づきました。

 

このため、オリンピック委員会は金栗を記念式典でゴールさせることにし、彼を式典に招待したのです。招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切りました。ゴールの瞬間、場内には 「ただいまのタイムは54年8カ月6日5時間32分20秒3、これをもちまして第5回ストックホルム大会はすべての競技を終了しました。」 というアナウンスが響きました。

 

これは近代オリンピック史上最も長時間のマラソン競技記録であり、オリンピック全日程終了までの期間として史上最長でした。今後も破られることがないであろう不滅の金字塔となっており、金栗はゴール後のスピーチで 「ここまで長い道のりでした。この間に妻をめとり、子供6人と孫10人ができました。」 とコメントしています。

 

この大会が初のオリンピック参加となった日本でしたが、日本の入場行進のプラカード表記がオリンピック史上、唯一 ”NIPPON” でありました(以降のオリンピックはすべて表記は ”JAPAN” )。なお ”NIPPON” での入場は大会直前に急遽決まったことだったため、本来の ”JAPAN” としての順番である ”ITALY” と”LUXEMBOURG” の間という入場順でした。この ”NIPPON” の表記を決めたのは、ストックホルムオリンピック日本選手団の団長を務めた嘉納治五郎でした。

 

また、オリンピックで授与される金メダルは純金を金で覆った金メッキ製であることはよく知られていますが、この大会までは純金製の金メダルでした。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、疲労回復を考慮した、アスリートのニーズに合った施術を行なっていきます。