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北浦和の整体。オリンピックは4年に1回。

2019/06/24
北浦和の整体。オリンピックは4年に1回。

1894年(明治27)の今日、国際オリンピック委員会(IOC)がオリンピックの開催周期を4年とすることに決定しました。

 

その2年後に近代オリンピックの第1回目となるアテネオリンピックが開催されました。

 

オリンピックが4年に1度開かれる理由として、諸説あるようです。最も有力なのは、古代ギリシャ人が太陰暦を使っていたからという説です。現代、世界中で使われている太陽暦の8年が、太陰暦の8年と3カ月にほぼ等しいことから、8年という周期は古代ギリシャ人にとって重要な意味をもっていたようです。暦を司るのは神宮であり8年ごとに祭典が開かれるようになり、後に半分の4年周期となりました。太陰暦では49カ月と50カ月間隔を交互にして開催されていたようです。

 

そして、開催時期についてですが、オリンピックの開会式は”夏至の後の2度目または3度目の満月の日”と決められていました。現在の暦で言うと8月下旬であり、5日間行われたようです。満月の日と決められていた理由は、ポリス(古代ギリシャを形成していた独立都市国家)は共通の暦を持たず、暦の名前も国ごとに異なっていたからです。

 

地中海性気候のギリシャは、真夏のこの時期は気温が40℃を超えるときもあります。働きの悪い従業員に向かって、「ちゃんと働かなかったら、粉ひき場ではなくオリンピアへ送ってやるぞ!」と脅し文句に使われるぐらい、この時期の暑さは半端ではなかったようです。

 

では、なぜわざわざ暑い時期に行われたのでしょうか?

 

この時期は、麦の刈り入れが終わり、秋のオリーブの収穫までの農閑期であり、同時にこの農閑期は戦争の季節でもあったので、この時期に休戦協定を結び、スポーツと平和の祭典をするということには、大きな意義があったわけです。

 

4年に1度に決められた理由は、太陰暦と太陽暦、それを融合させた暦など、いろいろ種類があり、この時期にはまだ統一暦というものがなく、ポリスごとに独自の暦を使用していたことにあります。のちに古代バビロニア人から太陽太陰暦がもたらされ、ギリシャの統一暦として使用されるようになりますが、オリンピックが始まったこの頃は、それぞれが独自の暦を用いていたのです。

 

オリンピックの開催年になると、各ポリスに開催を伝える使節団が向かいます。彼らを”スポンドフォロイ(休戦を運ぶ人)”と呼びました。スポンドフォロイは、オリンピックの優勝者に与えられるのと同様、頭にオリーブの冠をかぶり、使節の象徴である杖を持って各ポリスを巡回しました。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、疲労回復を考慮した、アスリートのニーズに合った施術を行なっていきます。