BLOGブログ
BLOG

北浦和の整体。鉄人・衣笠祥雄。

2019/06/07
北浦和の整体。鉄人・衣笠祥雄。

1986年(昭和61)の今日、広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成しました。

 

衣笠は、連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位(通算504本は張本勲とタイ)の記録保持者です。赤ヘル打線の主砲として1970年代後半から1980年代の広島カープ黄金時代を築き上げる原動力となった選手のひとりです。

 

進駐軍の兵士として日本に駐留中だったアフリカ系アメリカ人の父親と、日本人の母親との間に生まれました。1964年の平安高校3年時に、春の第36回選抜高等学校野球大会と夏の第46回全国高等学校野球選手権大会に捕手として出場、いずれもベスト8の成績を残します。

 

翌1965年、広島カープに入団し、内野手に転向します。1968年から一塁手として一軍レギュラーに定着。1974年までの背番号が28だったことから、「鉄人(マンガ”鉄人28号”より)」の愛称で親しまれており、またその愛称が示す通り、野球選手の中でも小柄な体格でありながら、正反対に飛び抜けて体が頑丈でもありました。負傷しても休まず試合に出場することも多く、その頑丈さで大相撲の幕内力士・青葉城と並び称されたこともありました。

 

1970年10月19日の対巨人戦から始まった連続試合出場記録でしたが、1979年はシーズン序盤から極度の不振に陥りました。5月27日の時点で打率が.198と落ち込んだために古葉竹識監督が翌28日の試合に先発メンバーから外す決断に踏み切りました。このために三宅秀史が保持していた700試合の連続フルイニング出場日本プロ野球記録はあと22試合というところで断念させられました。

 

江夏豊の著書によると、この時スタメンを外されることが決定した衣笠の荒れようは凄まじいものがあり、手当たり次第に物を投げ飛ばしたといいます。

 

この年は代打、代走、守備固めによる途中からの試合出場が21試合もありました。8月1日の対巨人戦では西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折する重傷を負ってしまいます。全治2週間と診断が下され、1122試合で連続試合出場記録がストップしてしまう危機が訪れましたが、翌2日の試合で代打として姿を見せました。江川卓の投球にフルスイングで挑んで三球三振という記録を残しました。

 

試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」 「それにしても江川君の球は速かった」 とコメントしています。衣笠が代打で打席に登場した瞬間、広島ファンのみならず、巨人ファン・ベンチからも大きな拍手が起こりました。続く3日の試合では2番三塁手としてフル出場をして、周囲を驚愕させました。

 

1982年も12年連続全試合出場を果たし、王貞治の皆勤11シーズンの記録を破りました。1983年4月9日の開幕戦の対中日戦では堂上照から満塁本塁打を放ち、同年は3本の満塁打を放ちました。8月9日の対阪神戦で史上16人目となる通算2000本安打を達成。日本プロ野球名球会会員となります。

 

1984年には37歳にして自己最高の打率.329・31本塁打・102打点の成績を残します。打点王を獲得し、同年のチームのリーグ優勝・日本シリーズ制覇に伴ってMVPにも輝きました。

 

1986年6月7日の対阪神戦で2000試合連続出場を達成しましたが、この時点で打率は.224と低迷。7月の月間打率は.188(64打数12安打)、8月の月間打率は.145(83打数12安打)。7月29日から8月3日までの無安打でついに打率は1割台に転落してしまい、チームもほぼ同時期に首位の座を巨人に譲りました。

 

ベンチは衣笠の打順を5番から6番、更には7番と下げながら、それでも使い続けました。終盤は盛り返して優勝しましたが、苦戦のひとつの原因となってしまいました。

 

MLBのルー・ゲーリッグが保持する2130試合連続出場世界記録まであと45試合まで迫り、1987年の開幕を迎えることとなりました。6月11日の対大洋戦でついにゲーリッグの記録に並びました。6月13日の対中日戦で2131試合に到達。この試合で小松辰雄から左翼へ8号本塁打を放って記録に花を添え、広島市民球場を満員にした地元ファンの祝福に応えました。

 

6月22日に王貞治に次いでプロ野球選手として2人目の国民栄誉賞を授与。9月21日には満足に守備が出来なくなったことを理由に現役引退を表明しました。最終出場試合となった対大洋戦の10月22日に2215試合連続出場を果たしました。この試合では2回に新浦寿夫から先制の17号2点本塁打を放ち、3回にも二塁打を叩き、ベンチに退きました。功績を讃え、1975年から衣笠の付けていた背番号「3」はカープの永久欠番となっています。
 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、鉄人のようなスポーツマンにも効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。