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北浦和の整体。大相撲第48代横綱・大鵬。

2019/05/29
北浦和の整体。大相撲第48代横綱・大鵬。

1940年(昭和15)の今日、大鵬幸喜(大相撲第48代横綱)が当時日本の領土だった樺太の
敷香町(現・ロシアサハリン州ポロナイスク)に生まれました。

 

大鵬は元大相撲力士。史上3人目の番付上1人横綱です。本名は納谷幸喜(なやこうき)ですが、一時期は母親の再婚によって住吉幸喜(すみよしこうき)と名乗っていたこともありました。父親はロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校、マルキャン・ポリシコでした。

 

出生の直後に激化した太平洋戦争によってソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き上げることになりました。最初は小樽に向かう予定でしたが、母親が船酔いと疲労による体調不良で稚内で途中下船しました。小笠原丸はその後、留萌沖で国籍不明の潜水艦から魚雷攻撃を受けて沈没しましたが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れました。

 

北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓しました。その再婚相手の職業が教師だったことから学校を毎年異動していたこともあり、しばらくは北海道各地を転々としていました。あまりの貧しさから大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名です。

 

中学校卒業後は一般の同世代の若者と同じ”中卒金の卵”として北海道弟子屈高校の定時制に
通いながら林野庁関係の仕事をしていましたが、1956年(昭和31)に二所ノ関一行が訓子府町へ巡業に来たときに紹介され、高校を中途退学して入門しました。入門時には母親から反対されましたが、親子で相撲部屋を見学した時に所属力士の礼儀正しさを見た叔父が母親を説得したそうです。後年、巡業で振る舞われたちゃんこに感銘を受けていたことも入門の動機として明らかになっています。

 

1956年9月場所にて初土俵を踏みます。同期には後の大関・清國や小結・沢光、前頭の大心、玉嵐らがいます。入門当初より柏戸と共に横綱確実の大器と評されており”二所ノ関部屋のプリンス””ゴールデンボーイ”などの愛称を与えられました。

 

序ノ口時代から大幅な勝ち越しで順調に番付を上げていき、1958年3月場所では三段目で優勝、十両目前の西幕下2枚目まで番付を上げていた同年9月場所では3勝5敗で負け越したものの、取的時代の負け越しはこの1場所のみでそれ以外はすべて6勝以上挙げています。

 

東幕下筆頭となった1959年3月場所で6勝2敗と勝ち越して十両昇進を決めました。初土俵から幕下時代までは本名の納谷で土俵に上がっていました。三段目時代、飲みに出かけた時に(当時角界では未成年飲酒が珍しくなかった)両国界隈のバーで「伊勢ノ海部屋の富樫(のちの柏戸)はいい力士だ、あれは絶対横綱になる」と耳にし、それから柏戸を越すことを目指して稽古に打ち込みました。

 

1959年に新十両昇進が決まると、四股名を付けてもらえることが決まりました。その四股名は故郷・北海道に因んだものを付けるのかと思っていましたが、二所ノ関から 「もっといい名前がある。『タイホウ』だ」と言われました。そしてこの時に”大鵬”の字とその意味を教わります。大鵬の意味は、中国の古典「荘子 逍遥遊」にある「鯤之大不知其千里也、化而為鳥、其名為大鵬(鯤(コン、伝説上の巨大な魚)は大いに之(ゆ)き、その千里を知らずや、而して鳥に化けすと、その名は大鵬と」 とあり 「翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里の天空へ飛翔する」 と言われる伝説上の巨大な鳥に由来します。漢書好きな二所ノ関にとって最も有望な弟子に付けるべく温存していたもので、その点では二所ノ関の期待以上によく育ったと言えます。

 

大鵬は、1961年9月場所後、柏戸と共に横綱に同時昇進を果たします。大鵬21歳3カ月、柏戸22歳9カ月での横綱昇進は、ともにそれまでの最年少記録だった照國萬藏の23歳3カ月を更新するものでした。昇進時の口上は 「横綱の地位をけがさぬよう今後も精進します」 でした。

 

柏鵬両雄の対戦は、1960年1月場所ー1969年5月場所の58場所間に37回実現しています。千
秋楽結びの一番の対戦は史上3位の21回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が5回(相星決戦が2回
)ありました。

 

両者横綱昇進以前の対戦成績(1961年9月場所まで)は、柏戸の7勝3敗。両者横綱同士の
対戦成績(1961年11月場所以降)は、大鵬の18勝9敗でした(優勝回数も1961年11月場所以降、柏戸4回・大鵬29回)。

 

私が子供の頃は、当時の子供たちの好きな物を並べた 『巨人・大鵬・卵焼き』 というフレーズが大流行していました。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、疲労回復を考慮した、アスリートのニーズに合った施術を行なっていきます。