BLOGブログ
BLOG

北浦和の整体。マラソン足袋。

2019/04/24
北浦和の整体。マラソン足袋。

今年から始まったNHK大河ドラマ”いだてん~東京オリムピック噺~” 主人公の『いだてん』こと金栗四三が1911年(明治44)のストックホルムオリンピックに向けたマラソンの国内予選会で履いていた足袋は長距離走に耐えきれずにボロボロになり、彼がゴールした時は裸足でした。

 

その後の練習でも足袋はすぐにすり減ったため、金栗は在学していた東京高等師範学校近くで足袋屋「播磨屋足袋店」の職人・黒坂辛作に足袋の改良を依頼、黒坂は足袋底を三重に補強してマラソン足袋を完成させました。

 

しかし、土の道路だった日本とは違い、ストックホルムは石畳だったため、足袋底を補強しただけでは足への衝撃を吸収できず、金栗は足を痛めてしまいます。帰国後、金栗はさらなる改良を黒坂に依頼し、足袋の底にゴムを貼り付け、コハゼ(足首の後ろについている爪型の金具)を廃して甲の部分を靴のように紐で縛る、金栗足袋を完成させます。

 

こうして耐久性を高めた足袋は1919年(大正8)、金栗の足に履かれて下関ー東京間1200kmを走破して、その存在を天下に知らしめました。

 

この『金栗足袋』を使用した選手からはオリンピックで好成績を残す事例が出てきます。1928年のアムステルダムオリンピックで山田兼松、津田晴一郎が入賞、1936年のベルリンオリンピックで孫基禎が金メダル、南昇竜が銅メダルを獲得しました。

 

第二次大戦後、1951年のボストンマラソンに優勝した田中茂樹もマラソン足袋を使用しており、現地の記者から「指が2本しかないのか?」と怪しまれる一幕もありました。

 

その後、指先が分かれたスタイルではキック力が分散されるのではないか、との懸念もありました。そこで辛作は、それまでの足袋型からシューズ型への改良を決断します。かつて足袋の部品であるコハゼをやめたときと同様に、性能向上のためならば金栗足袋で長年築き上げた栄光や歴史も捨てる覚悟でした。

 

そして開発されたのが、国産マラソンシューズ第1号ともいうべき『カナグリシューズ』でした。

 

1953年(昭和28)、ボストンマラソン。すでに還暦を迎えていた金栗は、自ら才能を見出した愛弟子・山田敬蔵に辛作の作ったカナグリシューズを履かせて、ボストンへと乗り込みました。日本人の中でも小柄な身長157cmの山田でしたが、2時間18分51秒という大会新記録で見事優勝。当時の世界最高をも塗り替える大記録でした。

 

ゴールで待ち受けた金栗は、まるで自分の仇をとってくれたかのように喜んだといいます。そして、大塚でその知らせを受けた辛作は、うれしさのあまり部屋中を歩き回りながら「よかったよかった」とぽろぽろ涙を落したといいます。

 

金栗61歳、辛作71歳。出会って40年の月日が流れていました。ふたりが作ったマラソン足袋の物語は、”国産マラソンシューズで世界記録樹立”という大きな成果を挙げました。

 

ハリマヤがマラソン足袋から手を引いた後も、他社によって同様の製品は改良が続けられ、マラソン足袋、ランニング足袋として販売されています。杵屋足袋の製品は2017年にTVドラマ化された”陸王”で使用されています。

 

また、金栗の出身地・玉名市では、金栗が当時履いていた金栗足袋を再現したランニング足袋”KANAKURI”をふるさと納税の返礼品としているようです。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、疲労回復を考慮した、ランナーのニーズに合った施術を行なっていきます。