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北浦和の整体。”Boys, be ambitious”

2019/04/16
北浦和の整体。”Boys, be ambitious”

今日はボーイズビーアンビシャスデー。1877年(明治10)4月16日、札幌農学校(現・北
海道大学農学部)教頭のウィリアム・スミス・クラークが、「Boys, be ambitious」の言葉を残して北海道を去り、帰国の途につきました。

 

クラーク博士は、1848年、アメリカ・マサチューセッツ州・アマースト大学卒業後、1850年まで母校のウィリストン神学校で化学を教え、化学と植物学を学ぶべく、ドイツのゲッティンゲン大学へ留学、1952年に同大学で化学の博士号を取得します。

 

成績が非常に優秀だったため、20代で教師就任の要請を受けて、アマースト大学教授となり
ます。分析化学・応用化学を担当し、また化学だけでなく動物学と植物学も教え、計3つの
専門を教えるという活躍をしました。

 

じきにクラークは、農業教育を推進し始めます。ゲッティンゲン大学で学んでいた時期にすでに農業に着目していたのです。1853年には新しく設立された科学と実践農学の学部長になりましたが、うまくゆかずに1857年に終了しました。これによってクラークは、新しい農学教育を効果的に行なうためには新しいタイプの教育組織が必要だと考えました。

 

マサチューセッツ農科大学(現マサチューセッツ大学アマースト校)第3代学長に就任しまし
た。(初代と2代学長は開学前に辞任したため、彼が実質初代学長。)

 

アマースト大学で教えていた時期、学生の中に同大学初の日本人留学生がいました。それは
新島襄(同支社大学創始者)でした。任期中に新島の紹介により、日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年(明治9)7月に札幌農学校教頭に赴任します。マサチューセッツ農科大学の1年間の休暇を利用して法日するという形をとりました。

 

クラークの立場は教頭で、名目上は別に校長がいましたが、彼の職名は英語で”President
(校長)”と表記することが開拓使によって許可されて、実質的にはクラークが校内の全てを
取り仕切っていました。

 

クラークはマサチューセッツ農科大学のカリキュラムをほぼそのまま移植し、諸科学を統合した全人的な言語中心のカリキュラムを導入、自ら模範となって学生を鼓舞激励するだけでなく、マサチューセッツ農科大学の教え子から生え抜きの逸材を後継者に据えて規律及び諸活動に厳格かつ高度な標準を作り出し、学生の自律的学習を促しました。

 

彼は帰国した後も札幌での生活を忘れることはなく、死の間際には「札幌で過ごした9か月間
こそ、私の人生で最も輝かしい時だった」と言い残したと伝えられています。

 

札幌農学校1期生の大島正健は後クラークの最後の言葉について、自身の文書の中で次の
ように述べています。

 

先生を囲んで別れがたなの物語にふけっている教え子たち一人一人その顔を覗き込んで、「どうか一枚の葉書でよいから時折消息を頼む、常に祈ることを忘れないように。では愈御別れじゃ、元気に暮らせよ。」と言われて生徒と一人一人握手を交わすなりヒラリと馬背に跨り、”Boys, be ambitious!”と叫ぶなり、長靴を馬腹にあて、雪泥を蹴って疎林のかなたへ
姿をかき消された。 -「クラーク先生とその弟子たち」

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、大志を持ってスポーツを続けている方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。