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北浦和の整体。メジャーリーグ初の黒人選手の話。

2019/04/15
北浦和の整体。メジャーリーグ初の黒人選手の話。

今日4月15日は、アメリカでは”ジャッキー・ロビンソン・デー”。1947年(昭和22)の今日、ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーガ―としてデビューを果たしました。

 

メジャーリーグベースボール(MLB)が2004年にジャッキー・ロビンソン・デーを制定しました。この日(試合がない場合は以降の最初)の試合では出場選手全員が彼が付けていた背
番号”42”を付けて試合が行われます。

 

1947年の米国は人種差別が根強く残っている時代で、ロビンソンがメジャーデビューを果たす際には、所属するブルックリン・ドジャースを除く全15球団から出場に反対する声が上がっていました。

 

ロビンソンが出るなら対戦を拒否するという球団や、同じチームメイトにもロビンソンと共にプレーすることを嫌がって、トレードを志願する選手も出てきました。

 

それに対して、ハッピー・チャンドラーコミッショナーはドジャースを支持し、フォード・フリックナショナルリーグ会長は対戦を拒否するなら出場停止処分にすると発表し、問題を鎮めようとしました。

 

ドジャース監督だったレオ・ドローチャーは「自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。自分はこのチームの監督である。優秀な選手であれば使う。もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行ってほしい。」と述べました。

 

開幕戦の4月15日んび本拠地のエベッツ・フィールドには26,623人の観客のうち半数以上
の14,000人はロビンソンを見ようとする黒人でした。

 

チームメイトの中には移籍した選手もいましたが、ロビンソンは常に紳士的に振る舞い、シーズンが始まるとトレードを志願していたディキシー・ウォーカーがロビンソンに打撃や守備について教えるようになるなど、シーズン終了時にはチームメイト・監督・報道陣から受け入れられるようになりました。

 

そして、ロビンソンは打率.297、12本塁打、48打点、29盗塁という成績を残して、同年より始まった新人王を受賞しました。ロビンソンはMLB初の新人王ということもあり、1987年にはこれを記念して、新人王に”ジャッキー・ロビンソン賞”という別名が付けられています。

 

その後、10年のキャリアの中で、首位打者、盗塁王、リーグMVPなどを受賞、ワールドシリーズ制覇を経験するなど主力選手として活躍します。引退後は黒人の地位向上などに積極的
に取り組んでいましたが、1972年、53歳の若さでこの世を去りました。

 

ロビンソンのメジャーデビュー50周年となる1997年4月15日、ロビンソンが着用していた背番号42は米球界全体で永久欠番となりました。制定以前から42番を着用していた選手は、特例として背番号の継続が認められました。そして2013年、ニューヨーク・ヤンキースの守護
神、マリアノ・リベラ投手が引退したことによってMLBから42の背番号がいなくなりました。

 

2004年4月15日にジャッキー・ロビンソン・デーが制定され、2007年のロビンソン・デーからは、ケン・グリフィー・ジュニアの提案によって、希望する選手全員が背番号”42”のユニフォームで試合に臨むようになりました。そして、2009年からは全選手が着用するようになり、今に至っています。

 

数多くの選手からリスペクトを受けているジャッキー・ロビンソン。彼の背負った背番号”42”は、この先も人種差別廃絶の象徴として、ずっと語り継がれていくでしょう。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、本気で練習に打ち込む人にも効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。