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北浦和の整体。イチロー引退の話(最終編)。

2019/04/03
北浦和の整体。イチロー引退の話(最終編)。

先日、大リーグ・マリナーズのイチローがプロ野球選手としての第一線から引退することを表明しました。

 

前回のブログの続きを書きます。

 

2000年11月、日本人初のポスティングシステムによる、イチローの独占交渉権をシアトル・マリナーズが1300万ドル余りで獲得します。3年契約に合意して、11月末には渡米、3年総額1400万ドルで正式契約を結んで、日本人野手で初めてのメジャーリーガーとなりました。背番号は”51”、日本で使っていた同じ背番号でした。

 

当初、日本人野手がメジャーで通用するのか、疑問の声が日米問わず多くありました。当時のマリナーズの監督ルー・ピネラも、大きな期待はしていませんでした。

 

背番号”51”についても、当時のマリナーズではランディ・ジョンソンのイメージがファンの間では強く、「ランディの功績を台無しにするのでは?」という理由で好意的には見られていませんでしたが、その後の活躍で、「ランディ・ジョンソンとの連名での永久欠番になるのではないか」の予想がされるまでになります。

 

イチローの背番号51はオリックスに入団したときから始まります。ドラフト4位入団だったので、いきなり若い番号を託されることはなく、名前の”一朗”という部分に因んで末尾が1で誰も当時チームで背負ってなかった背番号51が与えられました。

 

その後、自分自身がプロとしてスタートしたときに背負っていた背番号”51”にを”自分の番号”に育てていく、という目標を持ち、今までずっと背番号51にこだわってきました。

 

しかし、ニューヨークヤンキースに移籍した時は、実際に背番号51が空いていたにも関わらず、ヤンキースで背番号51以外のユニフォームに袖を通すことを選択したのです。

 

これには理由があります。かつてヤンキースの背番号51を背負っていたのは、歴代でもトップクラスのスイッチヒッター、バーニー・ウィリアムス選手だったのです。イチロー選手は彼に憧れていたということもあり、尊敬する偉大な選手が背負っていた番号がヤンキースにとってどれだけの重みがあるかということも配慮して判断したのです。

 

偉大な先人たちが背番号51という数字を偉大な番号に育て上げてきました。

 

イチロー選手と背番号51の出会いは偶然だったのですが、その偶然の出会いから28年経った今、「背番号51と言えばイチロー」と言われるほどに成長しました。

 

3月21日の記者会見の中で、「野球の魅力とは?」との質問に対して、イチローはこう答えています。

 

「団体競技なんだけど、個人競技というところ。これが野球のおもしろいところ。チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことはない。個人として結果を残さないと、生きていくことはできない。本来はチームとして勝っていればいいかというと、チームとしてのクオリティは高いからそれでいいかというと、決してそうではない。その厳しさがおもしろいところ。おもしろいというか、魅力であることは間違いない。」

 

これはプロ野球という厳しいビジネスの世界をうまく表している言葉だと思います。個人として結果を出したイチローだからこそ、言える言葉です。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、野球の魅力にとりつかれた野球ファンの方にも、効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。