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北浦和の整体。イチロー引退の話(前編)。

2019/03/28
北浦和の整体。イチロー引退の話(前編)。

先週、大リーグ・マリナーズのイチローがプロ野球選手としての第一線から引退することを表明しました。

 

イチロー(本名:鈴木一朗)選手は、日本プロ野球(NPB)ではMVP、首位打者、打点王、盗塁王、、ベストナイン、ゴールデングラブ賞などを獲得し、2000年オフに日本人で初めて野手としてメジャーリーグ(MLB)に移籍。

 

2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新、コミッショナー特別表彰を受けました。2016年にはMLB通算で3000本安打、500盗塁、さらにNPB/MLB通算でのプロ野球における通算最多安打数(ギネス世界記録)を樹立しました。

 

イチローは1973年(昭和48)、二人兄弟の次男として、名古屋市守山区で誕生し、生後間もなく西春日井郡豊山町へ転居します。祖父の名「銀一」から「一」の文字を取り「一朗」と命名されました。イチローに限らず、祖父(銀一)のすべての孫の名には漢字の「一」が入っています。

 

小学校時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属し、エースで4番として活躍、6年生の時には全国大会に出場します。小3の頃から、学校から帰宅後に近くの公園で父親と野球の練習をするようになり、学年が上がるにつれて、それだけでは満足できなくなり、町内のバッティングセンターにほぼ毎日通い詰めるようになります。小3の時には時速100キロの球を打っていたそうです。

 

そのうち、普通の球速では満足できなくなり、バッティングセンターがイチロー用のスプリングを作って、行く前に電話をして用意してもらっていました。

 

豊山町立豊山中学校では、小学生時代の仲間と共に学校の野球部に所属。エースで中軸を打ち、中3の時に全日本少年軟式野球大会に出場し、3位入賞を果たします。学校の成績も優秀で、常に学年トップ10に入っていたそうです。

 

愛工大名電高校に進学したイチローは、愛知を代表する名門野球部に入り、1年時からいきなりレギュラーになります。2年時に夏の甲子園(レフトとして)、3年時に春の甲子園(投手として)と2度甲子園に出場しましたが、いずれも初戦敗退に終わります。

 

高校3年間の通算成績は、536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131でした。高校時代は投手でしたが、通学途中の交通事故によるケガが原因で野手に転向せざるを得ませんでした。

 

先週21日の記者会見の中で、「子供たちにメッセージをお願いします」との質問に対して、イチローはこう答えています。

 

「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを早く見つけてほしい。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも向かっていくことができると思う。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしい。」

 

小学3年の頃から野球の虜になったイチロー選手だからこそ、言える言葉だと思います。イチローが小学6年の時に書いた”僕の夢”という作文は、「ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校でも全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには、練習が必要です。…」と始まります。

 

小さい頃から夢中になれるものを見つけたイチロー選手にとって、練習こそがすべてであり、それさえこなしていけば、どんな壁でも乗り越えられる自信がどんどんついてきたのだと思います。

 

イチロー引退の話(前編)はこの辺で終わります。続編はまたの機会に。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、練習に打ち込む野球少年にも効果的なメンテナンス・施術を行なっていきます。