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北浦和の整体。WBCの話。

2019/03/20
北浦和の整体。WBCの話。

2006年(平成16)の今日、アメリカ・サンディエゴで行なわれた第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦にて日本代表が優勝、WBCの初代王者となりました。

 

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、メジャーリーグベースボール(MLB)機構とMLB選手会によって立ち上げられたワールド・ベースボール・クラシック・インク(WBCI)が主催する、野球の”世界一決定戦”です。

 

野球ビジネスを重視してスタートした、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)についてご紹介します。

 

1990年代後半から、MLBでは東アジアや北中米カリブ海諸国の選手を中心にMLBの国際化が
進み、アメリカ以外の国籍を持つMLB選手の活躍が著しくなっていきました。本格的なMLBの世界進出によるMLB拡大と野球マーケット拡大、収益の拡大を目指していた、MLB機構のバド・セリグコミッショナーは”野球の世界一決定戦”の開催を提唱しました。

 

2005年5月にMLB機構が翌年3月に野球の世界大会を開催することを発表。7月にMLBオール
スターゲーム開催地のデトロイトで、参加保留にしていた日本とキューバを除く14カ国の代表が出席して、記者会見が行なわれ、大会の正式名称”World Baseball Classic”が発表されました。

 

当初、日本(NPB)はMLB側の一方的な開催通告やMLB中心の利益配分に反発して参加を保留していました。日本プロ野球選手会(古田敦也会長)も開催時期の問題から、2005年7月の総会で不参加を決議しました。

 

しかし、MLB機構は、参加を保留するNPBに対して改めて参加を要求、「もし日本の不参加でWBCが失敗に終わった場合には日本に経済的補償を要求する」と通達があり、「WBCへの不参加は日本の国際的な孤立を招くだろう」と警告しました。

 

これで、日本プロ野球選手会は不参加の方針を撤回することになります。最終的に、2005年9月にNPB機構に参加の意向を伝えて日本の参加が決まりました。

 

MLB機構はこの大会を夏季オリンピックの野球競技に代わる国際大会として位置づけする意向を示し、2009年3月に第2回大会が行われ、これ以降は4年ごとに開催されることになりました。

 

第1回大会のホスト国はアメリカ、プエルトリコ、日本の3カ国で、総試合数:39試合、総入場者数:73万7000人(目標入場者数:80万人)、1試合平均入場者数:約1万8900人で、大会収支は黒字になったことが発表されています。

 

参加国は、中国・チャイニーズタイペイ・日本・韓国(第1ラウンドA組)、カナダ・メキシコ・南アフリカ・アメリカ(第1ラウンドB組)、キューバ・オランダ・パナマ・プエルトリコ(第1ラウンドC組)、オーストリア・ドミニカ・イタリア・ベネズエラ(第1ラウンドD組)の16か国・地域。

 

試合は、第1ラウンド、第2ラウンド、準決勝、決勝と行なわれ、第1ラウンドは、各グループ4カ国・地域の4グループに分かれて総当たりリーグ戦を行ない、上位2カ国が第2ラウンドへ進出。第2ラウンドは、A組とB組、C組とD組のそれぞれ上位2カ国・地域が同じ組となり、総当たりリーグ戦を行ない、上位2カ国が準決勝へ進出。各組の1位と2位が準決勝を行ない、決勝進出と進められました。

 

第1ラウンドA組は、全勝の韓国と、チャイニーズタイペイと中国に大勝した日本が第2ラウンドに進出。アメリカのエンゼルス・アナハイムスタジアムで行われた第2ラウンド1組では、3カ国が1勝1敗で並び、大会規定による当該チーム間での失点率で日本が準決勝に進みました。日本では”アナハイムの奇跡”と報じられました。

 

準決勝で、日本は韓国を6-0で降し、サンディエゴで行われた決勝で、キューバを10-6で破り、見事優勝の栄冠を手にしました。

 

このときの日本の監督は王貞治監督。MVPには大会最多3勝利投手の松坂大輔、大活躍した
イチローも優秀選手に選ばれました。日本最終成績は、5勝3敗・60得点・21失点と、2位キューバ(5勝3敗・44得点・43失点)をはるかに凌ぐものでした。

 

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