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北浦和の整体。伊藤みどりの話、昨日の続き。

2019/03/19
北浦和の整体。伊藤みどりの話、昨日の続き。

1988年7月、国際スケート連盟のルール変更後、伊藤は11月の愛知県フリー選手権で、競技
会では女子選手として世界で初めて3回転アクセルに成功します。1989年1月の全日本選手権
では、規定で初めてトップに立ち、5連覇を達成します。

 

そして、1989年パリ世界選手権(フランス)では、規定で自己最高の6位につけてオリジナルプログラムは1位(暫定3位)。フリーでは、女子選手としては初めての3回転アクセルの着氷が乱れたものの成功させ、他5種類の3回転ジャンプも決めて、フリー1位となり、日本人初・アジア人初の世界チャンピオンとなりました。

 

このフリーの演技は、9人中5人の審判が技術点で6.0満点を出したことも合わせてフィギュアスケート史上に残るプログラムとなりました。

 

1989年のNHK杯では、2度目の芸術点6.0を獲得。1990年ハリファックス世界選手権(カナダ)は、規定5位以内が目標だったが10位と出遅れて、オリジナル、フリーとも1位と追い上げましたが、総合2位となり、連覇は成りませんでした。

 

1990年7月から規定が廃止されて、伊藤にとって更に有利な状況になりました。しかし、ここから伊藤の不運が続くことになります。

 

11月に左足首を痛め、1991年ミュンヘン世界選手権(ドイツ)の1カ月前に右あご下の唾液腺にできた結石を除去するため入院するなどして、大会に臨みました。

 

オリジナルプログラム直前の練習中に、他の選手と接触して相手のエッジが左足の靴に突き刺さり、左脇腹を強打、負傷してしまいます。オリジナルの演技中、コーナー付近で連続ジャンプ着氷時にリンク外のカメラ席に飛び出してしまい、フリーでは、前半の3回転ジャンプを失敗、後半立ち直ったものの、総合4位に終わります。この結果、翌シーズンの出場枠を3から2に減らしてしまいました。

 

1991年11月のラリック杯(フランス国際/フランス杯)は翌年のアルベールビルオリンピックの有力選手が集まる大会となりました。伊藤は、フリーで3回転ルッツー3回転トーループ、3回転アクセルー2回転トーループの2つのコンビネーションを含む6種類6回の3回転ジャンプを成功させて優勝。アルベールビルオリンピックの優勝候補の筆頭となります。

 

アルベールビルのオリジナルプログラムでは、2日前の練習中、3回転アクセルのコンビネーションを14回中すべて失敗し、3回転アクセルだけが5回成功と成功率が落ちていました。そのため、予定していた3回転アクセルを確実性の高い3回転ルッツに変更しましたが、そのルッツでも転倒して4位と出遅れ、自力優勝は不可能となります。

 

フリーでは、一度は3回転アクセルで転倒しますが、後半残り1分で再び3回転アクセルに挑戦、成功します。オリンピックでは惜しくも日本人初のフィギュアスケート選手としての金メダル獲得はなりませんでしたが、日本女子としてはアルベールビル・スピードスケート1500mで冬季大会史上初のメダル(銅)を獲得した橋本聖子に続いて、日本女子二人目のメダルとなる銀メダルを獲得しました。

 

少女時代から”ジャンプの天才”と呼ばれていた伊藤が、3回転アクセルを跳ぼうと意識し始めたのは中学1年のころで、初めて練習で跳んだのは中学3年のシーズンでした。練習を始めて3カ月ほどで成功するようになりましたが、競技会では成功しませんでした。

 

競技会で初めて成功したのは19歳、1988年愛知県フリー選手権でした。国際大会では1988
年NHK杯でした。

 

その後、伊藤のほかに国際大会で3回転アクセルを成功させた女子選手は、日本の中野友加里
、浅田真央、紀平梨花を含む8選手だけになります。

 

明日からさいたまスーパーアリーナで世界フィギュアスケート選手権が開催されます。女子シングルに出場する日本選手は、紀平梨花、宮原知子、坂本花織の3人。優勝すれば、2014年の浅田真央の金メダル以来となります。

 

女子シングル・ショートプログラムは明日15時スタートの予定です。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、フィギュアスケート観戦に打ち込んでいる方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。