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北浦和の整体。世界卓球の話。

2019/03/07
北浦和の整体。世界卓球の話。

1957年(昭和32)の今日からストックホルム(スウェーデン)で開催された第24回世界卓球選手権大会において、日本は7種目中5種目で優勝を成し遂げました。

 

国際卓球連盟(ITTF)主催で1926年から始まった、卓球の世界最高峰に位置づけられている世界卓球(通称)についてご紹介します。

 

第1回大会は、1926年にロンドン(イギリス)で開催されました。第2次世界大戦のため、1940年から1946年の7年間は中断、1957年までは原則毎年行われていましたが、それ以降は2年毎に行なわれています。

 

第45回大会は、それまで個人戦と団体戦が同時に行なわれていたのが、1999年にアイントホーフェン(オランダ)で個人戦が行われ、翌2000年にクアラルンプール(マレーシア)で団体戦が行なわれました。

 

次の第46回大会(日本・大阪)は個人・団体同時開催でしたが、それ以降は、西暦奇数年には個人戦、偶数年には団体戦が行われるようになりました。

 

世界卓球が始まった当初、他を圧倒して強かったのはハンガリーでしたが、1936年第10回大会(チェコ・プラハ)の頃から、チェコ、オーストリア、アメリカが台頭を見せてきました。

 

日本が初めて優勝した大会は、初めてヨーロッパ以外で開催された1952年第19回大会(インド・ボンベイ)で、男子シングルス、男子ダブルス、女子ダブルス、女子団体の4種目で優勝しました。

 

そして、1957年第24回ストックホルム大会では、男子シングルス(佐藤博治)、女子シングルス(江口冨士枝)、混合ダブルス(荻村伊智朗・江口冨士枝)、男子団体、女子団体の5種目で金メダルを獲得しました。

 

この頃の日本の代表的選手として、荻村伊智朗がいます。荻村は世界卓球では12個の金メダルを獲得し、日本卓球の黄金期のスター選手として活躍しました。引退後は国際卓球連盟会長、元日本卓球協会副会長、日本オリンピック委員会国際委員長等を務めて、”ピンポン外交”の立役者のひとりとして世界のスポーツ界にも大きく貢献しました。

 

1994年12月没後、その業績が称えられ、ITTFワールドツアーのひとつ、ジャパンオープン卓球選手県大会が、”荻村杯国際卓球選手権大会”に改称されました。そして1997年には”世界卓球殿堂”入りをしました。

 

今年の世界卓球は、ブタペスト(ハンガリー)で4/21(日)から第55回大会(個人戦)が開催されます。

 

日本からは、男子では、張本智和(世界ランキング4位)、丹羽孝希(同9位)、水谷隼(同10位)、女子では、石川佳純(同4位)、伊藤美誠(同7位)、平野美宇(同9位)らが参加選手として登録されています。

 

中でも、張本(15歳)は、3/3仙台で行われた”第23回ジャパントップ12卓球大会”の決勝で、去年破れた水谷(29歳)をストレートで降し、優勝しています。女子では、石川(26歳)が全日本選手権2年連続3冠達成の伊藤(18歳)を4-2で破り、2年ぶり4度目の優勝を果たしています。

 

2020東京オリンピックに向けて、日本の卓球は、選手層も分厚く、技術も人気も最高潮に達していることは間違いありません。

 

ボディブラでは、小さい頃からひたすら卓球に打ち込んでいる方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。