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北浦和の整体。アジア競技大会の話。

2019/03/04
北浦和の整体。アジア競技大会の話。

1951年(昭和26)の今日、インド・ニューデリーで第1回アジア競技大会が開幕しました。

 

アジアで初めて行われたアジア競技大会についてご紹介します。

 

参加国は、アフガニスタン、ビルマ(現在のミャンマー)、セイロン(現在のスリランカ)、インド、インドネシア、イラン、日本、ネパール、フィリピン、シンガポール、タイの11カ国。主催国のインドの選手数が最多で151人、日本は72人の選手を送り込んでいました。

 

実施された競技は、陸上、水泳(飛込、競泳)、サッカー、自転車、バスケットボール、重量挙げの6競技。

 

第2次世界大戦後初のオリンピックだった1948年ロンドンオリンピック(イギリス)の際に、オリンピックに参加していたアジア諸国(インド、フィリピン、朝鮮、中華民国、セイロン、ビルマの6カ国)の代表の間で、4年に一度、アジア総合競技大会を開くことが決められました。

 

大会開催運営する組織としてアジア競技連盟(AGF)を設立、第1回大会を2年後の1950年秋に、インドのニューデリーで行なうことを決めました。

 

第1回開催国に決まったインドでは、競技会場の新設、改築などの諸準備に取り掛かりましたが、競技用具に関しては、すべてヨーロッパに発注しました。しかし、競技用具が1950年秋までに間に合わないことがわかり、半年遅れの1951年3月の開催となりました。

 

今では信じられないことですが、第2次世界大戦直後で、すべてのものが不足していたときで、特に競技用具のような生活に密着しない物資は容易に入手できなかったのです。

 

日本は、1948年のロンドン・オリンピックには招待されませんでした。だから、このニューデリーのアジア大会には喜んで参加しました。

 

この大会の日本の金メダルは24で1位(銀20、銅15、計59)、主催国のインドは金15で2位(銀17、銅20、計52)となりました。

 

1958年第3回大会は東京で開催され、それが呼び水となり、1964年第18回オリンピック大会・東京招致の活動を活発にしていきました。

 

日本のスポーツ界は、東京アジア大会の直前にIOC総会を開いて、東京に集まった各国のIOC委員に、開会式をはじめ競技のほうも観戦してもらうことに成功したのです。

 

翌1959年、西ドイツ(現ドイツ)ミュンヘンで行われたIOC総会で、東京が第18回大会開催国に選ばれました。それは、前年の東京アジア競技大会の運営ぶりに感心したIOC委員が多く、投票に反映されたからだと言われています。

 

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