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北浦和の整体。プロボクサー、モハメド・アリの話。

2019/02/25
北浦和の整体。プロボクサー、モハメド・アリの話。

1964年(昭和39)、54年前の今日、カシアス・クレイ(今のモハメド・アリ)が、世界ヘビー級王者ソニー・リストンを7回TKOで倒し、新王者になりました。

 

元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリについてご紹介します。

 

アリは、アメリカ合衆国の元プロボクサー、ケンタッキー州ルイビルの出身でした。アフリカ系アメリカ人ですが、イングランドとアイルランドの血も引いていました。

 

18歳のとき、1960年ローマオリンピック・ボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得。その後プロに転向、新王者になったのは、それから4年後でした。

 

アリは小学生の頃、父親から誕生日のプレゼントにもらった自転車を宝物にしていました。ある日、誰かに自転車を盗まれて、警察に届けに行った際に対応してくれた警官が、ボクシングジムのトレーナーをしていたことから、犯人に制裁を与えるという意味で、アリにボクシングジムに入ることを勧めました。これがボクシングを始めるきっかけでした。

 

ジムに入って8週間後、アリはアマチュアボクサーとしてデビュー。初戦は判定勝ち、小学校、中学校、高校と進学する間に、後にWBA世界ヘビー級王者になるジミー・エリスと2度対戦し、1勝1敗の成績を残しています。

 

その後、1959年(アリ17歳)に全米ゴールデングローブのミドル級で2年連覇。AUUボクシング競技のライトヘビー級でも2年連覇をしています。

 

1960年9月開催のローマオリンピック・ボクシングライトヘビー級に出場。ヨーロッパチャンピオンだったポーランドのズビグニェフ・ピトロシュコスキーを降して、金メダルを獲りました。

 

同じ年の10月29日にプロデビューし、デビュー戦を勝利。また、プロ転向後すぐリングネームを”カシアス・クレイ”から現在の本名の(イスラム教徒名の)”モハメド・アリ(ムハンマド・アリ―)”に改めました。

 

この名前は、”預言者ムハンマド”と”指導者(イマーム)アリ”からとったものでした。

 

1962年11月に行なわれた元世界ライトヘビー級王者のアーチ―・ムーアとの試合前には、控室の黒板に『ムーアを4ラウンドにKOする』と預言を書いて、そのとおりに4ラウンドKO勝ちしています。

 

アリのボクシングスタイルは、それまでの鈍重な巨体どおしの殴り合いだったヘビー級ボクシングを一変したス
タイルでした。

 

それは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」とアリが言うように、”蝶のように華麗なフットワーク”と”蜂のように鋭敏な左ジャブ”をモットーとした”アウトボクシング”を取り入れたものでした。

 

アリは、リングを縦横無尽に動きまわれる軽やかさだけでなく、ジャブに右ストレートでカウンターを合わせる離れ業をやってのけるパンチスピードも持ち合わせていました。そのパンチスピードは、マイク・タイソンが出現した今でも、ヘビー級史上最速の評価を得ています。

 

1964年2月のWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンとの試合前にも、アリ絶対不利と言われていましたが、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と公言しました。試合は一方的な試合となり、6ラウンドTKO勝ちとなりました。

 

この試合後、正式に本名を”カシアス・クレイ”から”モハメド・アリ”に改名しました。

 

その後、ジョージ・フォアマンとの8ラウンド一発大逆転劇のタイトルマッチ、ジョー・フレージャーとの死闘など、ボクシング史上に残る名勝負を残していきました。

 

最終的には、引退するまで通算3度のチャンピオン奪取と19度の防衛を果たしました。

 

1976年(昭和51)6月に日本武道館で行われた、アントニオ猪木と”格闘技世界一決定戦”を行なっていますが、結果は引き分けに終わっています。

 

このときの試合のルールが、”ほとんどのプロレス技が反則になる”アリにとって絶対有利なルールで、TVで見ていて、アリが猪木に捕まらないようにただ逃げ回るだけの、面白くもなんともない試合だったことを憶えています。

 

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