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北浦和の整体。日本サッカーリーグが誕生した日。

2019/02/19
北浦和の整体。日本サッカーリーグが誕生した日。

1965年(昭和40)の今日、西村章一、重松良典、長沼健、岡野俊一郎、平木隆三の設立委員会によって、日本サッカーリーグが創設されました。

 

日本代表コーチを務めたデットマール・クラマーの「リーグ戦形式にしなければ、日本のサッカーは強くならない」という提言により、実現したものでした。日本サッカーリーグは、1965年から1992年まで存在した、1993年からスタートしたJリーグ(日本プロサッカーリーグ)の礎ともなったリーグです。

 

日本サッカーリーグ(JFA)についてご紹介します。

 

日本における団体競技の全国リーグは、プロ野球(1936年にスタート)以来の新設であり、アマチュアを対象としたのはこのリーグが初めてでした。

 

最初は社会人だけでなく、大学チームにも門戸を開放しようと、リーグ名に”実業団”という文字を入れず、”日本サッカーリーグ”という名称になりました。しかし、早稲田大学を勧誘しましたが、大学リーグとの日程調整が難しいという理由から、参加を見送った経緯があります。

 

結局、社会人クラブの強豪である、古河重工、三菱重工、日立製作所、豊田自動織機製作所(トヨタ)、名古屋相互銀行、ヤンマーディーゼル、東洋工業(マツダ)、八幡製鉄(新日鉄)の8クラブがオリジナル8として参加し、国内初のサッカーのリーグ戦が6月6日に開幕しました。

 

初代チャンピオンは、最終節で優勝を決めた東洋工業でした。

 

発足の目的としては、日本サッカーのレベルアップ、特に試合回数を増やすとともに、パターン化による全体のレベルを向上させることが目的でした。アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行ったのは日本ではサッカーが初めてでした。

 

週末を中心としたスケジュールでリーグ戦を行なうことによって、試合回数を増やし、かつ社業に対する影響を最小限にしようとしたものでした。

 

このようなシステムは、バレーボール、バスケットボール、ラグビーなどの団体競技でも、全国リーグを立ち上げることに影響していったのです。

 

JFAによる効果はいろいろなところに表れてきました。

 

まず施設面の充実が挙げられます。各チームが競うようにして、練習施設などの環境を整えていきました。それから”企業アマ”の確立。当初は社業に影響がないように純粋なアマチュア主義を目指していましたが、次第にサッカーの練習のほうが社業より優先するようになり、サッカーをしていても賃金に影響しないような制度ができてきました。

 

この体制を”企業アマ”といい、サッカーに限らず日本のスポーツ界では広く見られ、海外では見られない日本独自のものとなりました。

 

そして”企業アマ”が進んで、試合結果に対する報酬を選手に与えるチームが出てきました。JFAでは、これを容認する方向で、1985年からスペシャル・ライセンス・プレーヤーの名称で、事実上プロ選手としての登録を認めるようになりました。

 

日本テニス協会では、これより先に選手のプロ登録を認めていました。

 

こうして、サッカー選手の実質的な”プロ化”は進んでいきましたが、実力的にも運営的にもまだアマチュアレベルから脱することができず、人気もそれほどなく、またアマチュアレベルでは解決できない問題をいくつか抱えており、プロリーグへの発展を待ち望む声が強くなっていきました。

 

このような経緯があって、日本サッカーリーグ(JFA)は、1993年のJリーグ発足へと発展して行ったのです。

 

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