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北浦和の整体。三浦敬三の話。

2019/02/15
北浦和の整体。三浦敬三の話。

1904年(明治37)の今日はプロスキーヤー・三浦敬三の誕生日です。

 

生涯スキーヤーであることにこだわった、100歳現役プロスキーヤー・三浦敬三についてご紹介します。

 

日本のスキー界の草分け的存在である三浦敬三は、青森県青森市に生まれました。青森県立第三中学校(今の青森県立青森高等学校)から北海道帝国大学(北海道大学)農学部に行きました。

 

世界的な冒険家・三浦雄一郎の父親としても知られています。

 

三浦敬三は、北海道帝国大学在学中に八甲田山の山岳スキーに魅せられ、101歳で亡くなるまで、およそ80年間スキー一筋を歩んで、指導者としてスキーの楽しさを伝えました。

 

90歳を過ぎても、更なるスキー技術の向上を目指し、毎年目標を決めて着実に実行していきました。毎年120日滑る敬三にとって、立山はシーズンを締めくくる大滑降の舞台でした。40年以上にわたって、毎年挑んできた山であり、自分の体力の現状を知るバロメーターとしてきました。

 

敬三は晩年、99歳でモンブラン大滑降を達成しました。準備のためのスキーやトレーニングで90歳から99歳の10年間に3回も骨折しており、それを治しての滑降達成でした。

 

同行した雄一郎によると、当日の夜、敬三は「これができたら死んでもいいと思っていたんだ」とつぶやいたそうです。そこに並々ならぬ覚悟で臨んだことがうかがえます。何歳になっても、夢・目標を絶対諦めない強い姿がそこにあります。

 

敬三の長寿の目的は、「いくつになってもスキーを滑り続ける」ことでした。そのために、独自の健康法も考えていました。スキーを楽しむために常に創意工夫をしていました。

 

敬三が本格的にスキーの滑走を始めたのは、青森の営林局を早期退職した51歳のとき。海外での初滑走は60歳。普通だったら仕事やスポーツから身を引く年齢から新しい挑戦を始めたのです。

 

日々の筋トレは欠かさずこなし、毎日の食事は、自分が食材から選んで作っていました。敬三が考案した健康食の中で有名なものに、黒ごまに、きな粉、酢卵、ヨーグルトなどをミックスして作るゴマドリンクがありました。

 

敬三は20年以上も朝晩飲み続けたおかげで体力が衰えず、若々しい体を維持することができたと語っています。

 

ボディブラでは、高齢で頑張っているアスリートにも、施術、ボディケアを行なっていきます。