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北浦和の整体。植村直己・マッキンリー冬季単独登頂の日。

2019/02/12
北浦和の整体。植村直己・マッキンリー冬季単独登頂の日。

1984年の今日、植村直己が北米・マッキンリー山の冬期単独登頂に成功しました。この日は彼の43歳の誕生日でもありました。

 

冒険家・植村直己についてご紹介します。

 

翌日2/13に行なわれた無線連絡以降、連絡が取れなくなり消息不明となりました。2/16に小型飛行機でマッキンリーに捜索に行ったところ、植村らしき人物が手を振っているのが確認されましたが、天候・視界不良のため、見失い救出できなかったそうです。

 

その後、母校である明治大学山岳部による2度の捜索でも、発見されることはなく、マッキンリー登頂の証拠として頂上付近に立てた日の丸の旗と、雪洞に残された彼の装備が遺品として発見されるに留まりました。

 

やがて捜索は打ち切られて、最後に消息が確認された2月13日が命日となりました。

 

植村は、日本人初エベレスト登頂、モンブラン(4808m)・キリマンジャロ(5895m)・アコンカグア(6960m)・エベレスト(8848m)・マッキンリー(6194m)と世界で初めて五大陸最高峰登頂、犬ぞりによる1年半の北極圏探検などを成し遂げています。

 

1984年4月に国民栄誉賞を受賞し、功績名は『世界五大陸最高峰登頂などの功』。同年6月に、デンマーク政府により、1978年のグリーンランド縦断のときのゴールだったヌナタック峰を、「ヌナタック・ウエムラ峰」と改称することが決定しました。また、同年8月に、北極点・グリーンランド縦断のゴールであるナルサスワックにレリーフが設置されました。

 

多くの冒険成功からは、植村の大胆不敵な面が表に出てきていますが、実際には人一倍臆病な性格で、十分な計画と準備を怠らず必ず成功するという目算なしには決して実行しなかった、と言われています。

 

植村は、最後のマッキンリー登頂前のインタビューで、「絶対に生きて帰らなくちゃいけないというのが、山でも冒険でも、非常に大きな現代の哲学のひとつだと思うんです」と語っています。

 

2011年に映画化された「岳」というコミックがありますが、映画の中で、山岳救助ボランティアである主人公の島崎三歩(小栗旬)が新人の山岳遭難救助隊の椎名久美(長澤まさみ)に教える言葉の中に、「山で落としてはいけないもの2つ。ひとつはゴミ、もうひとつは命」というのがあります。

 

生きて帰ってこそ、本当の登山家、冒険家だと思います。そのことは、植村は重々よくわかっていたはずですが、帰らぬ人となりました。その彼がどうしてなのか、と疑問をいだいている人も多いと思います。

 

私もときどき山に入る身ではありますが、無理だけはしないようにしています。レースであれば、これ以上は、と思えば途中棄権するようにしています。

 

北浦和のスポーツ整体、カイロのボディブラでは、第一にクライアントの健康を考え、ニーズに合った施術を行なっていきます。