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北浦和の整体。バレーボールが生まれた日。

2019/02/09
北浦和の整体。バレーボールが生まれた日。

1895年(明治28年)の今日、アメリカ合衆国の体育教師・ウィリアム・G・モーガンがバレーボールを考案しました。

 

バレーボールという球技についてご紹介します。

 

モーガンは、ホリーヨーク市のYMCAの体育教師として中年サラリーマンに体育を教えていたときに、相手と激しくぶつかり合うバスケットボールのようなスポーツではなく、もっと誰にでも気楽に楽しめるスポーツを作ろうと思って、バレーボールを考えました。

 

テニスをヒントにしたと言われ、当初のルールは単純・大雑把で、集まった人たちを同じ人数の2チームに分け、相手コートに返すまでのボールに触る回数も決まっておらず、ボールを打ち合って自分のコートに落としたほうが負けというものでした。

 

モーガンは当初、このスポーツを”ミントネット(Mintonette)”とネーミングしましたが、ハルステッド(YMCAトレーニングスクール教官)の提案により、”バレー・ボール(Volley ball)”と改名しました。

 

”バレー(volley)”は、「ボール地面につかないうちに打ち返す」という意味があり、テニスのボレーと同じ意味になります。1952年には、現在のように”バレーボール(Volleyball)”と、ひとつづりで表すようになりました。

 

当初のボールは、バスケットボールの内側のゴムボールを用いていましたが、軽すぎて球の動きが鈍く、次にバスケットボールそのものを用いたところ、重すぎたため、スポルディング社に発注して、現在のものとほぼ同じようなバレーボールを作ってもらったと言われています。

 

ボールの外皮の素材は、当初は牛革でしたが、現在では人工皮革が主流になっています。

 

1998年には、FIBA(国際バレーボール連盟)において、バレーボールの公式規格(周囲・重量・内圧)がインドア一般用・ビーチバレー用と定められました。またそれまで白一色のボールだったのが、インドアでも「カラーボール」の使用を解禁しました。(ビーチバレーでは既に導入)

 

バレーボールは各地に点在するYMCAを通じてアメリカ全土に広がりました。

 

日本にバレーボールが紹介されたのは1913年(大正2年)で、やはりYMCAを通じてもたらされました。この頃はしっかりとしたルールがなかったので、日本独自のルールが作られていきました。チームの人数も、最初の16人から12人、9人と変わり、現在の9人制バレーボールの原型が出来上がりました。

 

1947年にはFIBAが結成され、アメリカ式のルールを基に国際ルール(6人制)が出来上がり、1949年に第1回バレーボール世界選手権がチェコスロバキアで行われました。日本では1953年に6人制が採用されました。

 

そして、1964年東京オリンピックからバレーボールが正式競技に加わりました。このころからコンビネーション・バレーが作り出され、時間差攻撃など、日本独特のお家芸が編み出されていきました。

 

1972年ミュンヘンオリンピックの男子バレーボールで、松平康隆監督率いる日本が、みごと金メダルを獲ることになります。

 

当時の私は中学でバレーボールをやっており、チームのみんなと全日本チームを応援していたことを思い出します。

 

ボディブラでは、インドアスポーツに打ち込んでいる方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。