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北浦和の整体。長野オリンピックの話。

2019/02/07
北浦和の整体。長野オリンピックの話。

1998年(平成10年)の今日、20世紀最後の冬季オリンピック、長野オリンピックの開会式が長野オリンピックスタジアムで行なわれました。大会は2月22日の閉会式まで、前回のリレハンメルより2競技多い14競技が行なわれました。

 

冬季オリンピック長野大会についてご紹介します。

 

長野オリンピックで新しく正式競技になったのは、カーリングとスノーボードでした。カーリングは1924年シャモニー・モンブランオリンピック以来74年ぶり2度目、公開競技を含めると、1992年アルベールビルオリンピック以来2大会ぶりの実施ということになります。

 

開会式では、猪谷千春、笠谷幸生、金野昭次、北沢欣浩、長久保初枝、大高優子、橋本聖子、山本宏美の元冬季オリンピック日本代表選手8人がオリンピック旗を持って入場し、聖火点火は、アルベールビル五輪女子フィギュアスケート銀メダリスト・伊藤みどり、オリンピック宣誓は、アルベールビル・リレハンメル両五輪ノルディック複合団体の金メダリスト・荻原健二とフィギュアスケート審判・平松純子によって行われました。

 

長野オリンピックは、屋外競技は悪天候に悩まされた大会でした。アルペンスキーは競技日程が変更、スキージャンプ団体戦は競技が一時中断したりしました。

 

アルペンスキー競技は、固くしまったアイスバーンで行われるのが通常なので、悪天候で新雪が深々積もったバーンは、レースができるように入念に整備する必要があるのです。高速でスキー操作をしなければならないので、積もった雪に一瞬でも足を取られると、コースアウトや転倒する危険があります。

 

事実、この長野オリンピックでも、大降雪のため5日遅れで開催された男子滑降で、出場45人中15人が失格・途中棄権となっています。

 

このシーズンのFISワールドカップ総合1位、オーストリアのヘルマン・マイヤーも、滑降で同じ地点で転倒しましたが、スーパー大回転と大回転では優勝を果たし、ワールドカップチャンピオンの底力を見せつけた大会でもありました。

 

アルペンスキー大回転・回転2競技が行なわれた志賀高原会場は、東館山・焼額山2コースを抱えていたので、2コース同時に競技が行われてもいいように、スタッフおよび機材の手配がされました。2コース分のスタッフを準備することには経費面で不要論も出ましたが、「この時期の天候は読めない」という地元スタッフの意見が反映され、フル手配となりました。

 

そのおかげで、結果的には、スピード系競技(白馬会場)の連日の大幅なスケジュール変更や、大降雪による影響を柔軟に対応することができました。

 

オリンピック競技会場になった地元スキー連盟・スキー場スタッフの責任感と実行力には頭が下がります。

 

この大会で日本が獲ったメダルは10(金5、銀1、銅4)で、スキージャンプで、船木和喜(男子ラージヒル個人)、日本(男子ラージヒル団体)、フリースタイルスキーで、里谷多英(女子モーグル)、スピードスケートで、清水宏保(男子500m)、ショートトラックスピードスケートで、西谷兵文(男子500m)が金メダルを獲りました。

 

スピードスケートでは、このシーズンに登場したスラップスケート(刃がかかとから離れる構造)を多くの選手が使用していて、長距離種目では世界新記録が連発する大会ともなりました。男子5000mでは、3位までの選手全員が従来の世界記録を上回りました。

 

モーグル女子では、里谷多英が冬季オリンピックで日本女子選手初の金メダルを獲得しました。当時、モーグル競技が始まると、TVにかじりついて応援していたことを思い出します。

 

ボディブラでは、冬のスポーツに打ち込んでいる方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。