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北浦和の整体。札幌オリンピックの話。

2019/02/06
北浦和の整体。札幌オリンピックの話。

1972年の今日、札幌オリンピックスキージャンプ70m級で、笠谷幸生が金メダル、金野昭次が銀メダル、青地清二が銅メダルを獲得し、日本がメダル独占を果たしました。

 

冬季オリンピック札幌大会についてご紹介します。

 

札幌オリンピックは、日本の北海道札幌市で1972年2月3日から2月13日まで行われた冬季オリンピック。日本およびアジアでは初めて開催した冬季オリンピックです。

 

実は、札幌オリンピックは1940年に行なわれることが決まっていました。当時日中戦争の最中という戦時体制下にあり、物資調達の妨げになるとの開催反対が叫ばれたことや、交戦国である中華民国の選手団の出場問題で国外からも開催反対が叫ばれ、1938年に開催権返上をしている経緯があります。

 

そして、オリンピック夏季大会も1940年に東京で開催される予定でしたが、同じく日中戦争の影響で、開催権返上をしています。

 

当時のオリンピック憲章では、冬季大会について「夏季大会を開催する国にまず優先権がある」との規定がありました。36年に東京大会の開催が決定し、国内では「冬季大会も日本で」と力が入っていましたが、すんなりとはいきませんでした。

 

近代オリンピックは当初「アマチュア」だけが参加できることになっていましたが、国際オリンピック委員会(IOC)は、アルペンスキーでスキーインストラクターを職業としている選手を「プロ」と認定したので、有力選手が36年のガルミッシュバルテンキルヘン大会に出場できないということがありました。その後、国際スキー連盟(FIS)とIOCの間でもめていました。

 

また、冬季スポーツの後進国である日本に大会を開く能力があるかどうかが懸念され、北欧国などが自国での開催を強く主張したこともあり、議論になったのです。

 

「実行困難と判明した場合、ノルウェーに譲る」の”条件付き仮決定”という形で札幌開催が決まりましたが、日本では、「準備の事実で開催可能であることを示せ」と国内が大きく盛り上がりました。

 

しかし、1940年札幌大会は前述のように幻の大会となってしまいました。

 

そういう「32年ぶり」という思いも詰まった72年の札幌大会で、”日の丸飛行隊”と呼ばれた日本の若者3人が、スキー70m級ジャンプで、堂々と表彰台を独占したことは、日本中を歓喜の渦に巻き込みました。

 

当時、私は中学生でしたが、掃除の時間に『さあ、笠谷。さあ、笠谷。金メダルへのジャンプ! 飛んだー! 決まったー!』というアナウンサーの実況中継を真似して絶叫しながら、ジャンプの飛行姿勢をとって、友だちとやりあっていたことを思い出します。

 

ボディブラでは、冬のスポーツに打ち込んでいる方にも、施術、ボディケアを行なっていきます。